シングル・DINKsなど子どもを持たない生き方を選択する若者が増えつつある。コスパ・タイパが重視される世の中で、子どもを持つ選択は不合理にも思える。
そのような中で、筆者はDINKsという生き方を捨てて、”あえて”子どもを持つ生き方を選んだ。
今回は、なぜ筆者が子どもを持つ選択をしたのか、その理由についてお話ししていきたい。
子持ちは不合理だが”最適解”
まず、筆者宅の状況について簡単に説明しよう。
我が家は、Z世代の共働き夫婦世帯だ。世帯年収としては一般的で、ものすごく余裕があるわけでもカツカツなわけでもない。
2人とも正社員で安定しているものの、今の仕事を続けていく気はあまりない。特に筆者(夫)は早期に経済的自立を達成したいと考えているので、支出を減らし資産形成を積極的に行っている。
このような状況下において、経済的に考えれば、子どもを持たない「DINKs」という選択を取ることは極めて合理的だ。
子どもを育てるということは、資産形成という観点から見れば逆行する。出産・子育てにかかる出費をはじめ、学費、生活費など、子どもを産む選択をした時点で資産形成が大幅に遅れることは確定する。
また、筆者は必ずしも「子どもがいることが素晴らしい」とか「子どもがいる家庭を理想の家族像」などとは考えない。それどころか、反出生主義的な主張に共感するところもあり、倫理的な観点から子どもを産むことには拒否感すらあった。
そんな筆者が、なぜ子どもを持つという選択をしたのか。それは、筆者なりのメリット・デメリットを踏まえた上での、現時点での”最適解”だと考えたからだ。
子どもがいるメリット・デメリットを考える
子どもがいるメリット
DINKsでは得られない体験価値への投資
まず大きなメリットとして、DINKsでは得られない体験価値が得られることが挙げられる。はっきりいって、親のエゴだ。
体験価値というのは、幸せや楽しいといったポジティブなものにとどまらない。苦しいことや辛いこともあるが、こうしたネガティブなものを含めての広範な体験である。
子育てとは、まさに夫婦の人生を賭けた一大プロジェクト。そのプロジェクトに、夫婦で協力し合いながら携わることで、ポジティブからネガティブなことを含めて、自分自身の人生を豊かにしてくれると考えた。

子どもがいることで、新たな着眼点や価値観が生まれるかも!
これまでは、出産や子育てを”受益者”の立場でしか経験したことがないため、親目線でどういうものかはわからない。プロジェクトの主催者側に立つことで、親自身の視野も広がるだろう。
世の中には自分の考えに凝り固まり、それを押し付けようとする「老害」が山ほどいる。少なくとも自分はこうした人間にならないよう、価値観を日々アップデートし、視野を広げていく必要があると考えている。
子どもにとってもメリット有り
子ども目線でも考えてみたい。
前述の通り、筆者はどちらかといえば反出生主義的な価値観の持ち主だ。この厳しい社会に子どもを産むことに対し、少なからず倫理的な問題はあると考えている。
その一方で、必ずしも悲観しすぎる必要はない。誰にだって将来のことはわからず、親の提供する環境や教育によって、子ども自身の将来が「好転」していく可能性だってある。その可能性を引き出すのが親の役割だ。
幸いにも、筆者宅は多少なりとも経済的な余力がある。そのため、何かあったとしても直ちに子どもが生活に困ることはないはずだ。
我々親によるサポートや子どもの権利と自主性がしっかりと保障されるのであれば、子どもにとってもメリットがあると考えた。
子育ての社会的意義が相対的に高まっている
現代の日本は、出生率の低下が著しい。逆に言えば、1人産み育てているだけでも、その貢献度合いは相対的に高まっているともいえる。
実際それは国の政策にも表れており、子育てを支援する制度は年々拡充されてきている。独身世帯には厳しく、子育て世帯を優遇する流れは、今後しばらく変わることはないだろう。
使える公共サービスをフル活用しながら、上手に立ち回りたいと思う。
子どもがいるデメリット
出産・育児はコスパが悪い
子育て世帯への支援制度は整っており、これからも拡充されていくことには違いない。
しかし、出産や育児にあたっては、DINKsとは比にならないほど支出が増えるのも事実だ。家計は厳しくなるため、この点をとっても、子どもが欲しくないという若者が増えているのも共感できる。
子どもを産むという選択をする時点で、コスパはある程度度外視しなければならない。コストをかけてでも、子育てでしか得られないメリットに重きを置けるかが問われるだろう。
子どもの幸せと親の責任
子どもは、自らの意思で産まれたくて産まれるわけではない。紛れもなく親のエゴだ。
そのため、子どもを持つ以上、子どもが幸せになることは親としての責務であると考えている。子どもの人生がかかっているのだから、自主性を尊重し幸福追求の権利に応えることは必須だ。
また、親としての資格も問われるうえに、法的責任や社会的責任を一手に引き受けることにもなる。こうした責務や使命を果たすことができる親は、どれほど存在するだろうか。

責務や使命を果たせる自信は、現時点ではあまりないかも…。
それでも親になるということ
筆者の主観も多分に含まれていただろうが、これらのメリット・デメリットを比較衡量した上で、筆者夫婦の出した結論は「子どもを持つ」という選択だった。
子どもは正直コスパが悪いし、親の責務を全うできる自信はないし、デメリットも重々承知している。
だが筆者は、過度なコスパ至上主義や将来への悲観は、必ずしも自分自身の”幸福”につながるとは考えていない。
コスパばかりを追求しては、得られるべき体験価値が得られず、結果として機会損失になる恐れもある。逆に、かけた金額以上に得られる体験価値があるのであれば、それは”投資対効果”はあるともいえる。
だから筆者は、出産・子育て面においては、目先のコスパという指標の比重を下げることとしたのだ。
将来への悲観については、「現状維持バイアス」に囚われた、自分自身の防衛本能によるものであると結論づけた。変化を恐れては得られるメリットも得られないし、将来が悪い方向に向かうとも限らない。

今リスクを取らずに、将来のリターンを得ることは不可能!
そして、子育てを通じて確実にいえることとしては、自分自身の視野が広がるということだ。子育てという一大プロジェクトで得られる経験値は大きく、それは自分の強みにもなるだろう。
以前の記事で、これからのAI時代には「人間でしかできないこと」こそが重要な価値になってくると述べた。出産・子育てという「人間」としての強みや経験を増やしておくことが、実は中長期的にみて役に立ってくるのではないだろうか。
こうして、悩みに悩んだ結果として、我々はDINKsではなく子どもを持つという選択をした。
もちろん、この選択が正解だったかどうか現段階ではわからない。良い選択をしたと思えるかもしれないし、当時の選択を後悔することになるかもしれない。
だが、筆者はこれまでもマンション購入や結婚など、人生における大きな決断をしてきた経験がある。これらは、後から振り返っても「あの時頑張って決断して本当によかった」と心の底から思えている。
目先の利益や周囲の環境に流されるのではなく、メリット・デメリットを自分の中で冷静に分析した上で、現時点でのベストを尽くすことが大切ではないだろうか。自分の判断を信じ、子育てを通じて自分の人生を豊かにするチャンスを掴んでいきたいと思う。





