子どもはいらない?反出生主義の共感がもたらすもの(Z世代のホンネ)

Z世代のホンネ

「生まれたくて生まれたわけじゃない」「子どもは欲しくない」「子どもは生むべきではない」

一昔前であればタブーとされた考え方や価値観が、若者たちの間で広く共感を呼んでいる。一体、何が起こっているのだろうか。

現代の若者たちは、どのような家族観や倫理観を持っており、親世代はどのように向き合えば良いのか。今回は、「子ども」に対する若者の”ホンネ”に迫っていきたい。

子どもを持たないという”ポジティブ”な選択肢

まずは、若者視点で家族観についてみていこう。もちろん、若者全員に当てはまるといった話ではなく、あくまでも傾向を分析するものだ。

若者は「子どもを持つこと」についてどのように考えているのか、そのホンネが見える調査結果がある。

令和5年、ビッグローブは18~25歳の未婚者を対象に「子育てに関するZ世代の意識調査」を行った。このうち「将来子どもはほしいか」という質問に対して、45.7%の若者が「ほしくない」と回答している。

未婚者対象の調査とはいえ、約半数が子供を望まないというのは、衝撃の結果ではないだろうか。子どもを育てる余裕がなく、将来への希望や自信を見出せないことや、家族観そのものが変容したことの表れでもある。

もくもく
もくもく

Z世代以下は、生まれてから好景気の時代を経験したことがないとか。

しかも価値観の変容にあたって、若者たちはある興味深い”変化”を起こしていた。

自らの生きづらさを解消すべく、前例踏襲主義や旧態依然とした体制を拒否し、若者自身の手によって「価値判断の基準」を作り出したのだ。

その一つが、俗にいう「コスパ」「タイパ」といった価値判断基準だ。かけた費用や労力に対して、それに見合ったパフォーマンスが得られるかどうかが、彼らにとっての判断の軸となる。

また、理不尽なルールや集団行動といった全体主義的な体制には否定的で、各人の自主性を重視する個人主義的な意識が見られる。

こうしたある種の”合理主義的”な価値判断基準の広まりは、若者の消費行動や投資活動、家族観などあらゆる面で大きな影響を及ぼした。言わずもがな、子どもに対する考え方に対してもあてはまる。

「子どもはコスパ・タイパが悪いのか?」「子どもはいる方が得なのか?損なのか?」「親ガチャ成功か?失敗か?」

こうした捉え方は、一昔前であれば「子どもをコスパ・タイパで考えるな!」と一蹴されていたに違いない。だが、こうした思考基準が若者の間で広く浸透した結果、あらゆる家族の形態が許容されるようになり、シングル・DINKSという生き方も普遍化してきている。

ポジティブに子どもを持たない選択をする若者が増えているのだ。

子どもを産むことは親のエゴ?

タブーがタブーでなくなり、ホンネが交錯するSNS社会。なかでも、たびたび論争となるのが「子どもを生むことは”よいこと”なのか?」というテーマだ。

一般的には、子どもが生まれることは「おめでたいこと」とされる。だがSNSを通じて見えてくるのは、若者が子どもを生むことを必ずしも”よいこと”とは捉えていないということだ。

近年は”子持ち様論争”といわれるように、独身や子どものいない社員が、子育て中の同僚や社員に対し「特別扱いされてズルいじゃないか」と不満を感じることもあるようだ。

また、これから生まれてくる子どもの視点に立ったうえで、子どもを生むことを”よいこと”と捉えない見方も登場する。いわゆる「反出生主義」的な考え方だ。

・子どもが不幸になる可能性があるなら、子どもは産むべきではない。
・子どもを産み育てられるほどの経済力がないにも関わらず、子どもを産むべきではない。

ここでは、こうした考え方の是非を語ることは避けたいが、従来の家族観や倫理観を根底から覆す価値観が、若者の間で存在感を増している事実はお伝えしておこう。

「産まれたくなかった」はタブー?

「生きているだけですばらしい」「親へは感謝しなさい」

こうした言葉は疑わざる価値観として、盲目的に語られがちであった。

だが、若者たちは、こうした価値観には否定的だ。SNS上では、これまで塞ぎ込んでいた”ホンネ”が垣間見える。

「自分は生まれたくなかった」「生まれることは良いこととは限らない」「親ガチャ失敗」

そんなホンネは、インターネットを通じて瞬く間に共感や拡散を呼んだ。「生」こそが是であるとする”建前主義”は、あっけなく形骸化してしまったのだ。

こうした思考の賛否は脇に置いておくが、着目すべきは「親主体」だけでなく「子ども目線」でも捉える点だろう。

従来、子どもの存在は「幸せの象徴」や「理想とされる家族観」を具現化したものであり、これを疑う余地はなかった。もっといえば、親の人生を主体にした家族観だけがあって、子どもの視点は欠如していたともいえる。

だが、近年共感を集める反出生主義的価値観においては、「生まれること自体が子ども自身にとってよいことなのか」という、新たな倫理的課題を提示している。

少子化が加速する背景には、こうしたかつてない事態が起こっていたのだ。

分断を越えて

こうした事態は、単なる価値観の変容にとどまらず、世代間のさらなる分断をも招くことになる。

そもそも今の若い世代は、物心ついたころから日本社会に対して明るい未来を抱いていない者が多い。

国内経済は停滞し、日本の国際的地位は低下。現役世代の世論が社会に反映されない「シルバー民主主義」は、無気力な若者をつくり出した。

実際、内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に対する調査」(平成25年度)によれば、「将来に希望がある」と答えた日本の若者は61.6%。米・スウェーデンの9割以上、英・仏・独の8割以上と比較しても、かなり低い数値だ。

このような社会において、SNSの登場は過去の価値判断や失政への批判など、若者たちの塞ぎ込んでいたホンネを顕在化させた。さらに、若者の新たな価値判断基準は、従来の価値観との軋轢を生んだ。

こうしたギャップは、次第に若者による親世代への不信感を強め、分断を加速させることとなる。

もちろん、だからといって分断が深まる現代に希望がないわけではない。相手の立場を理解し尊重し合う社会を築く、絶好のチャンスであるともいえる。

こんな今こそ必要なのは、どちらか一方の価値観を相手世代に押し付けることではなく、ホンネベースで話し合う姿勢だろう。

「昔はこれが当然だった」「最近の若者は…」親世代がこうした姿勢では、若者は心を閉ざし続けるばかりだ。

一方、若者も「自分の考え方こそが正義」と考えるのではなく、親世代の考え方を理解し尊重することが大切だ。

少子高齢化という国家的課題に立ち向かうためには、主張や責任の押し付け合いではなく、双方が歩み寄り、共に解決する姿勢が必要ではないだろうか。