若手社員がすぐ辞める「本当の理由」を考察する(Z世代のホンネ)

Z世代のホンネ

今回は、ちょっとディープな内容。

“なぜ、若手社員はすぐに辞めてしまうのか。”

世間では、労働市場が売り手市場であることや、転職サイトが充実し、転職が当たり前になったことなどが要因として挙げられるが、本質はそこなのだろうか。

私は、もっと根本的な要因があるのではないかと考えた。

同世代の筆者が、この問題を徹底考察してみたい。

若手社員がすぐに辞めてしまう現状

まず、厚生労働省が発表しているデータがあるので参照したい。

新規学卒就職者の離職状況に関する調査だ。

これによると、新規学卒では、入社3年以内の離職率が平均約32%となっている。

新卒離職率の推移自体は、近年大きく変わっていないものの、依然として高水準が続いている。

学生生活を卒業し、ようやく就職活動を終えたというのに、3人に1人が3年以内に辞めてしまう現状がある。

なぜだろうか。

新卒社会人であれば、よほどの資産家でない限り、仕事を簡単に投げ出すことはできないはずだ。

初任給が上がっているとは言われるものの、物価も上がり、生活していくためには簡単には辞められないのが通常である。

ということは、新卒学生の3人に1人が、現状に何かしらの「違和感」を抱き、それに耐えきれないほどのショックがあったから退職しているといえる。

もちろん、前向きな理由の場合もあるだろうが、少なくとも、現状を打破するために退職をするはずである。

入社前と入社後のギャップ、人間関係、社風が合わなかった…などなど、人それぞれ理由はあるはずだが、共通して言えるのは、現状に対して抱いている「違和感」が、退職の引き金となっているということだ。

では、この「違和感」の正体はなんなのだろうか?

そして、この「違和感」は、あくまで個人だけに起因するものなのか、若い世代に共通する社会全体の問題なのか、考えてみたい。

Z世代の思考

時代は遡って、今の若手社員はどんな教育環境に置かれていたのかを振り返ってみたい。

今、新卒として入社している年代は、いわゆる「Z世代」が多い。

Z世代とは、1990年代半ばから2010年代前半に生まれた世代を指す。

この世代は、リーマンショック、民主党政権時代はほとんど記憶にない人が多いだろう。

学校社会では、当然のように体罰や暴力は許されないと指導されてきた。

社会科の授業では、人類は皆「平等」と教育を受け、一人ひとりは違っていいという「個人」を尊重する重要性を学ぶ。

意見が違う人や趣向の異なる人とも認め合い、暴力による抑圧、権力を使って意見を押し付けることを嫌う。

そして、そのような価値観を加速させたのが、インターネットの登場だ。

デジタルネイティブと言われるこの世代は、SNSを通じて、周囲と緩いコミュニティを形成する。

誰もが、自由に発信し、「いいね」や「リポスト」をもらう。

客観的に”よい”投稿をすればいいねがたくさんつくし、誰にも興味が持たれなければ無反応・無価値という、フラットな世界だ。

そのような世界では、発信者側は共感を得るために”合理的な価値観”を投げかけ、それに共感して「いいね」や「リポスト」をする。

一人ひとりの価値観の違いを受忍しつつ、”合理性な価値観”を積極的に発信・賛同しようとするのが、今の若い世代の特徴であるといえる。

若い世代が感じる「違和感」の正体

最近は、「タイパ」や「コスパ」と言う言葉をよく耳にする。

費やした時間やコストに対して、どれだけ満足度や効用を得られるかという価値観だ。

これが、特に若者の間で支持されるようになってきているのだ。

それもそのはずで、合理主義的な考え方の最たるものだ。

そして、それは仕事の面においても同様だ。

自分や他者の行動に”合理性があるかどうか”が重要なのである。

例えば、上司に飲み会に誘われたとすると、「その飲み会に参加することに、合理性はあるのか」と言う思考過程に入る。

「付き合いだから仕方ない」「社会人として当然」などという理屈は通用しない。

そして、「付き合いだから出なさい」「社会人としてできて当然」といった不合理な押し付けが発生した時、自分の価値を毀損されたと感じる。

「上司のことが嫌いで嫌いで仕方がなくて飲み会に参加しない」というよりは、「自分の自由な時間において、上司との飲み会に費やすことに対する合理性がない」というだけなのに、受け入れてもらえなかった。

この「不合理さ」が、現役世代が感じる「違和感」の正体である。

若者に広がる合理主義と、不合理な縦社会

不合理な縦社会を目の当たりにし、この違和感が許容量を超えたとき、若者は退職を決断する。

「定時になのに、先輩がいるから帰ってはいけない。」

「上司に理不尽に叱責された。」

「上司の言うことは絶対だ。反対意見を言ってはいけない。」

「若手の意見に、全く耳を傾けてくれない。」

あれ?これまで、個々を尊重し、違いを認め合うことは大切だったと学んだはずだ。

あれ?自分なりに合理性を見出した意見に対して、全く聞く耳を傾けてもらえなかった。

そんな不合理な縦社会が、若手社員を「辞めさせている」のである。

ただ、ここでありそうな若手へのアドバイスは、「俺の若い頃もそうだった」ということである。

しかし、それは全くもって通用しない。

一言で言ってしまえば、それは上司が受けてきた価値観を、異なる価値観で育ってきた若手に押し付けていることにほかならない。

すなわち、その押し付けこそが違和感そのものであり、全くの逆効果なのである。

「老害」による「老害」のための社会を打ち破れるか

では、自身の所属するの会社にて、若手の離職率を減らすためには、何をすればよいのだろうか。

筆者は、労働人口が減少する中で、会社はますます二極化すると考えている。

すなわち「若者に支持される会社」と「若者に見捨てられる会社」だ。

もっと端的に言えば、「生き残る会社」と「淘汰される会社」といってもよいだろう。

上司が率先して価値観の変化を受け入れなければ、会社は若い世代に見捨てられていく

若手の提案を頭ごなしに否定していないか。

理不尽に叱責していないか。

その処分や言動は適切なのか。

「老害」による「老害」のための組織になっていないか。

若い世代の活力を活かさず、今さえ凌げればよいと言う考え方では、会社に持続性はないだろう。

若手社員はただ勢いで辞めるだけではなく、会社や上司の姿勢を冷静に分析し、極めて「合理的」に退職を決断していることを忘れてはなるまい。