若者から避けられる上司。「Z世代との関わり方がわからない」と若者との関わり方に頭を悩ませる先輩。
今回は、そんな近年よくある”ギャップ”にスポットを当ててみる。
他世代から避けられがちな「ざんねんな大人」。あなたの周りに1人や2人は必ずいるだろう。
いや、もしかしたら自分がそう思われているかもしれない。
そんな自戒も込めて、他世代から避けられる「ざんねんな大人」に共通する特徴と、自分が「ざんねんな大人」にならないためにはどうすればよいのか、一緒に考えてみたい。
他世代との”ギャップ”
若手が感じる「あの先輩とは相性が良くない」「あの上司は嫌いだ」という苦手意識。
腹を括って同僚に相談してみると、「実は私も同じことを思ってたんだよ!」というケースがよくある。
自分が潜在的に感じていた”違和感”が、実は同僚も同じように感じていたということ。
こうしたことが起こるのは、若手から避けられがちなおじさん・おばさんには、ある程度の「共通項」があるとも言い換えられる。
もちろん、これは逆もしかりだ。
今の40〜50代の上司だって、「Z世代への対応がわからない」「何を言ってもハラスメント認定されるしな」と、現役世代への対応方法に”違和感”を覚えている。
では、双方が抱える凝り固まった”ギャップ”の正体とは何なのか?
今回は、こうした苦手意識や違和感の対象となり得るざんねんな大人の「共通項」を、タイプ別にピックアップしてみたい。
ざんねんなおじさん・おばさんの”共通項”
まずは、Z世代が苦手意識を抱きがちな、おじさん・おばさんの”共通項”を探してみよう。
自分が絶対正しい!「石の意志タイプ」
まずは、人の意見に耳を貸さない、人が意見を言うのを遮ってでも自分の意見を押し通す「石の意志タイプ」だ。
Z世代が苦手とする典型的なパターンで、立場や地位を利用して自分の意見だけで意思決定まで漕ぎ着けようとするタイプだ。
このタイプにおいては、若手がどんなに合理的な見解を述べても、聞き入れてもらえることは基本的にはない。
というのも、そもそも人の意見(特に若手の意見)は耳に入っていないので、いくら言っても反映されることはないのである。
こうした上司が居座り続ければ、若手社員はいずれ「自分の意見は反映されることがないのか…」と諦めるようになり、それが退職の引き金にもなることは別記事でも説明した。
人手不足の現代において、若手の意見を尊重する姿勢がなければ、引くて数多の若手社員は離れていく。
自分の考えに自信があり、決断力があるという長所を持つ一方で、「傾聴力」が欠けている点はZ世代との関係値に大きな歪みを生む。
さらには、傾聴力が欠けていることにより、そもそも「傾聴力が欠けていること自体に自身が気がついていない」場合が多く、修正はほぼ期待ができない。
昭和の「ガンコ」さは、今のZ世代には通用しないのである。
自分の経験値をベースに決めるから、人の意見は聞いてないみたい?
このタイプの上司が同じ部署にいる場合は、若手社員が関係者と上司の板挟みになり、上司に相談しても聞き入れてもらえないため、会社の不正が起こりやすい環境ともいえるだろう。
人には言うが自分はできてない「自己矛盾タイプ」
次に、立場的に若手にはあれこれ言うが、自分はできていないという「自己矛盾タイプ」だ。
例えば、日常的に「人にはいろいろ言うのに自分はできていない」・「言っていることとやっていることが違う」・「昨日言っていたことと今日言っていることが矛盾している」といったケースがある。
合理主義的な思考が強いZ世代は、こうした矛盾点には即座に気がつき、強い違和感を抱くようになる。
このような事例が積み重なれば、若手からは不信感を抱かれ、いずれは敬遠されるようになる。
若手は上司の矛盾した発言に気がついているよ。
イタすぎ!「自分中心型」
時代背景や社会情勢が違うにも関わらず、「最近の若者は…」となんでも若者のせいにするのは、典型的な「ざんねんな大人」のパターンだ。
こんな、自分中心の無責任おじさん・おばさんの話に付き合わされ、飽き飽きしている若者も多いのではないか。
このタイプは、すべてが自分中心で他責思考が強く、物事を客観視できないといった特徴がある。
例えば、「最近の若者は…」を繰り返す大人は、自分たちこそが「最近の若者」を教育してきたという当事者としての自覚を持っていない。
若者が現在の考え方に至るためには、必ず生まれ育った「環境」が起因していることはいうまでもないが、自分がこうした原因の一つになっていることには気がついていない。
Z世代がこんな大人を目撃した時、「ざんねんな大人」として呆れ返るのだ。
また、このパターンに近いのは、自分の知識・経験をひけらかしたいがために、「俺の若い頃は…」といった言動を繰り返す人だ。
ポジティブにいえば、とにかく承認欲求を満たしたくて仕方がない「自分に素直な人」とも言い換えられる。
当然、こうした人々は、若者には忌避される。
優しい人であれば「うんうん、すごいですね。」とうなずく姿勢くらいは見せてくれるかもしれないが。
ただし、このようなおじさん・おばさんたちには、ある程度の同情の余地もある。
というのも、少数派となりつつある自身を正当化したい「カナシイ大人」でもあるからだ。
近年は、Z世代を中心に、価値観の多様化が受け入れられるようになってきている。それと同時に、これまでタブーとされてこなかったことも、タブー視されるようになっている。
こうした変化を受け入れてしまえば、これまで自分自身が正しいと思って実践してきたことへの正当性が揺らいでしまうのだ。
多様化した価値観がマジョリティになることを恐れ、薄れゆく自身への正当性を堅持するためには、「最近の若い者は…」と悪あがきをするしかないのである。
聞かされる側にとっては迷惑でしかないが、「絶滅危惧種」であるおじさん・おばさんの気持ちはわからなくもない。
自分のやってきたことが誤っていたとは、認めたくないものね。
肝心な時に役立たず?「”判断が遅い”型」
まだまだある。次は判断を仰いでも判断ができない「”判断が遅い”型」だ。
こまごました作業は得意でも、判断を仰ぐと途端に判断ができない。
こんな人が管理職であれば、なおのこと悲惨だ。
若手の話は聞いてくれるが解決はしない、あるいは解決に時間がかかることが多く、判断の権限がない若手から見れば、はっきり言って「迷惑な存在」だ。
もちろん「話を聞いてくれるいい人」というプラスの評価もあるが、一方で「全然決めてくれない」と決断力のなさに負の印象を持つ人も多いだろう。
指示役が決めてくれなきゃ、どうすりゃいいのさ!
ハラスメント多し「無神経型」
次は、相手の気持ちを考えない「無神経型」だ。
このタイプは、これまで挙げてきたタイプの中でもトップクラスで厄介かもしれない。
声が大きい・すぐ不機嫌になる・人の話をすぐ遮るといった対応は、相手を尊重していない証拠だ。
また、「不機嫌ハラスメント」というように、直接口には出さなくても行動・動作で雰囲気を悪くさせるといったケースもある。
ほかにも臭いで相手を不快にさせる「スメハラ」、その辺に唾を吐く、紙を配る時に舐めるといった行為も、このケースに該当するだろう。
本人が意図しないところで、Z世代にドン引きされているパターンもある。
相手の気持ちを考えない行動を繰り返せば、ざんねんな大人どころか「避けるべき対象」として、たちまち悪い噂が広まってしまうだろう。
大切なのは、相手の気持ちを考える「想像力」だね。
ざんねんなZ世代の”共通項”
では、ここまでざんねんなおじさん・おばさんの特徴を見てきたが、ここからは逆にざんねんな若手のタイプを見てみよう。
おじさん・おばさんの頭を悩ませるZ世代の特徴とは何なのだろうか。
上司・他者と話さない「コミュニケーション最低限型」
上司や他者と、コミュニケーション自体はとるが、最低限の事柄しか話さないという若者は多いのではないか。
このタイプでは、心を開いた間柄であれば自ら雑談をしにいくこともあるが、その枠に入らなければ、必要最小限度のコミュニケーションしかとらないという特徴がある。
プライベートと仕事の線引きがはっきりしている人も多く、場所によって自分のキャラクターを使い分けている人もいる。
信頼できる者同士でしか積極的な関わりを望まないこのタイプは、他者に対する「不信感」が根底にはありそうだ。
「余計なことを言うとマイナスの評価になる」との意識が、若手の口を塞いでいるのである。
周囲は「もう少しコミュニケーション取らないと、言いたいことが伝わらないよ…」と、対応に頭を悩ませている人も多いだろう。
口で言ってくれなければわからないけれど、かと言って、こちらからあまり深入りもできない。深入りすれば、ハラスメントとも言われかねない時代だ。
このタイプに対しては、まずは組織や他者に対する「本人の不信感を取り除く」ことを最優先とする必要があるが、その攻略法に未だ気がついていない上司も多いようだ。
心を許せる間柄でないと、コミュニケーションを取りたがらないみたい。
権利ばかりを主張する「権利主張型」
Z世代は、自分自身の「権利」をはっきりと主張するタイプも多いだろう。
これは、教育や社会的意識の変化により、「個人主義」の傾向が強いからこそだ。
「一人ひとりは自由で平等」「生き方は画一的ではない」
そんな価値観が根付いている今の若者にとって、権利の主張は至極真っ当なことと考えるようだ。
今のZ世代は、物心ついた時からインターネットがあった。
国境を越えてさまざまな価値観が飛び交い、一人ひとりが自分の権利を主張することは、「和を乱す悪いこと」と考えなくなった。
ところが、上の世代から言わせてみれば、「権利を主張したいなら、やることをやってからにしろよ」「世の中そんなに甘くないぞ」と言わずにはいられないだろう。
そして、これまでの価値観が通用しなくなったZ世代に対して、上の世代はどう関わりを持てばよいのか頭を悩ませているはずだ。
なお、筆者は、こうした権利ばかりを主張する若者を擁護するつもりはない。
というのも、権利を主張する以上は「説明責任(場合によっては法的責任)」を伴うからだ。
権利を主張したければ、最低限、相手に「理解してもらう」努力が必要になる。
しかし、それをすっ飛ばして「権利そのもの」ばかりを主張しつづければ、Z世代もまた「ざんねんな大人」の烙印を押されることになるだろう。
理解してもらう努力はした方がいいよね。
「ざんねんな」大人にならないために
さて、ここまでいろいろなタイプの「ざんねんな大人」を見てきたが、果たして、若者と上の世代にまたがる”ギャップ”を埋めることはできるのだろうか。また、埋めるためにはどのようなことが必要になるのだろうか。
筆者は、こうした世代間ギャップは「埋めることができる」と考えている。
その上で、筆者が考える一番大切なことは、立場や年齢の壁を乗り越えて「相手の価値観を理解する姿勢を見せる」ことだと考える。
決して、考え方の違いに対して、100%賛同することを求めているわけではない。
価値観の相違はあって然るべきだし、避けることはできない。
重要なのは、そのような「食い違い」が生じた時に、自分の意見だけを押し付けるのではなく、相手の立場にも立って考える姿勢があるかどうかだ。
すなわち、相手の置かれている状況を理解する、相手の主張に耳を傾けることは最低限忘れてはならないだろう。
また、もし自分自身が前述のタイプに当てはまっている・心当たりがあるからと言って、即座に悲観しなくてもよい。
最終評価で明暗を分けるのは、謙虚さを取り戻し「謝れる大人」なのか、必死に「無かったことにしようとする大人」なのかという点だからだ。
前者になることができれば、信頼できる大人として、むしろプラスの評価にすらなり得るのである。
逆に、後者となれば、「ざんねんな大人」の称号を確固たるものとすることだろう。
自分が「ざんねんな大人」認定をされないためには、相手の立場を最大限尊重して、話を聞く姿勢を忘れないこと、謙虚さを忘れないことだ。
そして、こうした積み重ねが世代間にまたがる”ギャップ”を縮めていき、双方が価値観の違いを「率直に受け入れられる」ことにつながるのではないだろうか。