コスパやタイパを追求すると、人生はつまらなくなるのか?【Z世代の幸福論】

もくもくのつぶやき

Z世代の間で主流となりつつある、「コスパ」や「タイパ」を追求する生き方。

しかし、そうした”合理主義”を極めることは、私たちの人生に良い影響を与えるのだろうか。

Z世代は、なぜコスパやタイパを求めるのか?

そもそも「コスパ」や「タイパ」という概念について、おさらいしておこう。

コストパフォーマンス(コスパ)とは、かけたお金に対して、それに見合った効果が得られるかどうかという概念だ。

低い費用で高い効用が見込まれれば「コスパはいい」といえる。

タイムパフォーマンス(タイパ)についても同様で、かけた時間に対して、見合っただけの効果が得られるかどうかを表す。

決して、「高いものは買わない」とか「時間をかけたくない」というわけではない。

多少値段が高かったとしても、それに見合った商品・サービスの「効用」が得られるのであれば、お金をかけることはいとわないのが、Z世代の特徴ともいえる。

若者がスマートフォンの中でも高価な部類に入る「iPhone」を使いたがるのは、それに見合った価値があると考えているからだ。

では、こうした”合理主義的”な価値観は、なぜZ世代に浸透していったのだろうか。

筆者は、大きく分けて3つの理由があると考えている。

①社会が成長しないこと
②SNSや動画メディアの発展で情報がありふれていること
③インフルエンサーの存在

まず、社会全体として成長への希望が持てないということが挙げられる。

経済停滞期しか経験をしたことのないZ世代にとっては、物心ついた時から少子高齢化や社会保障制度への不安、不信感が刻まれている。

そんな、既存の社会や制度に対して「疑念」を抱いている若者にとっては、今後景気が上向き、給料が上がることへの期待感や、社会が良い方向へ向かう希望を見出すことができない。

日々の生活を切り詰めてでも貯蓄や投資に回す人が増えているように思うが、こうした社会背景が、お金や時間の「ゆとり」を消失させたのであろう。

「景気は気から」。消費を高める「気」がZ世代にはない。

それに加え、SNSや動画メディアといった、インターネット上のコンテンツがありふれていることも要因となっている。

今や、見きれないほどのたくさんの情報が、手のひらに収まってしまう時代だ。

そうすると、限られた時間で少しでも多くの情報を得ようと考えるのが、若者の心理だ。

どうやら「時間がない」からタイパを極めようとするのではなく、「供給する情報量が多すぎる」ことに原因がありそうだ。

最近では、1分程度のショート動画や切り抜き動画が流行っているが、こうした若者の心理にうまく刺さっている。

そして、”合理主義的”価値観を普及させる上で重要な役割を果たしたのは、インフルエンサーの存在だろう。

「ミニマリスト」的な生き方の提案、「論破動画」の流行、既得権益への批判、家族観への疑問。

絶大な発信力を有するインフルエンサーによって、これまでは忌避されてきたことも、Z世代の中では共感を呼んでいる。

Z世代の価値観が与える”ポジティブ”な側面

こうしたコスパ・タイパといった”合理主義的”価値観は、これからを生きる若者にどのような影響を与えるのだろうか。

まずは、ポジティブな側面を見ていきたい。

第一には、見栄やプライドを捨て、本当に必要なものだけに自身のリソースを割くことができるため、合理的・効率的に人生を歩むことができそうだ

例えば、自動車のような高価な買い物であっても、見栄に固執しないため、「自分にとって必要なサイズ感・予算感の車を選ぶ」といった選択を望んでできる。

また、高級車やスポーツカーを購入するとしても、キャピタルゲイン(売却時の利益)を考慮に含めるなど、資産としての観点を併せ持つ人も多い。

シングル・DINKSのような生き方を望んで選択する人も増え、社会の目を気にせずに、より多様な生き方が推進される点は良いことだろう。

遠回りが人生を豊かにする?

一人ひとりが「自由」になるという意味ではポジティブに捉えることもできるが、一方で合理主義的な「形式」にハマり過ぎてしまうことには注意も必要だろう。

例えば、一切の無駄を排除し”ぜいたく”なお金や時間のかけ方を否定してしまえば、得られたであろう幸福、人生を変えるキッカケすら失われてしまうかもしれない

例えば、普段なら買わない「いつもよりちょっとランクの高い商品・サービス」を買ってみることで、新しい価値観が生まれるかもしれない。

普段は行かない場所にも、ちょっと足を伸ばしてみることで、新たな気づきがあるかもしれない。

そんな、人生のゆとりに、自分の人生を変える”キッカケ”が埋まっているかもしれないのだ。

実は遠回りのようで近道だったり、新しい道がひらけたりすることもある。

「多少の余裕が、私たちの心を豊かにする」という側面も忘れてはならないし、コスパ・タイパばかりを追求することは、長期的に見れば「勿体ない」ことなのかもしれない

経験は「自己投資」である

ただし、筆者は、何でもかんでも「遠回りをすれば良い」とお伝えしたいわけではない。

むしろ、筆者は他の記事にもある通り、どちらかと言えばコスパやタイパを重視する”合理主義的”な思考の持ち主である。

当ブログの「QOLシリーズ」でも、筆者自らがコスパよく・タイパよく生きる商品・サービスを紹介している。

しかし、そんな筆者も、”合理主義”がすべて正義とも思わないし、余裕が生み出す「幸福」の存在も軽視してはならないと考えている。

そこで、以下のような”メリハリある遠回り”を提唱したい。

  • 原則は「コスパ」や「タイパ」を重視し、「消費」判断をする
  • 時として、あえてコスパ・タイパを度外視し経験に「自己投資」する

特に、若いうちの経験や感性はとても重要であり、さまざまな可能性の芽を発見することで、その後の人生に大きな影響を与えることにもなる。

Z世代の間でコスパ・タイパが浸透しつつある今だからこそ、「ちょっとした遠回りが、心を豊かする」ことも思い出してみてはどうだろうか。