できればあまり目立ちたくない。できれば人と違うことをしたくない。
かつてはそんな「超慎重派」だった筆者が、リスクを取り自ら行動できるようになったワケとは何か?
今回は、筆者の過去を追いながら、リスクとの良い向き合い方について考えてみたい。
挑戦したいことがあるけれど、怖くてなかなか一歩を踏み出せないという方には、背中を押す内容となっているはずだ。
自分のことが嫌いだった(小学生時代)
なるべく目立ちたくないし、かといって、嫌われたくもない。
心配性で完璧主義、慎重派。争いは好まず、仕切り役は苦手。
「出る杭」にならないことを第一に考え、内向きな性格だった小学生時代の筆者。
周りからは「真面目だね」と評されることはあるものの、自分がグループの中心的な存在になることはなかった。
人と会話をしても、「これを言ったら、相手を傷つけてしまうだろうか」と深く考え、笑いをとりに行くことも苦手だった。
先生や保護者から見れば”お利口さん”の生徒だっただろうが、そもそも、筆者はこんな自分の性格が好きではなかった。
当たり障りのない、”つまらない奴”になっている自分が嫌だった。
少なくとも、今の自分の性格や価値観のまま大人になるのは、なんとしても避けたい。
そう考えていた私は、当時小学生にして、次第に「現状維持」への危機感が自ら醸成されていった。
価値観のアップデートを試みる(中学生時代)
意識改革に向けて前向きに歩み出した筆者は、中学校に入学してからというものの、とにかく価値観を”アップデート”することにこだわった。
過去の自分からの脱却を着実に進めるため、「とにかくいろいろなことに挑戦してみよう!」と意気込んだ。
リーダーや委員長といった役割を次々と引き受け、周りとのコミュニケーションを増やしつつ、苦手だった仕切り役もやらざるを得ない状況に追い込んだ。
緊張や目立ちたくないという思いが勝り、「自分に負け続けてきた」ことがくやしかった筆者。
そんな私が、ちょっとした「勇気」と「行動力」で、自分の中に居座っていた”魔物”を倒すことができたのだ。
この瞬間、これまでに感じたことのない楽しさややりがいを感じることができた。
そして、なにより自分という存在に対して「自信」を持てるようになった。
「これまで私が避けてきたことは、苦手だったのではなく、ただ単に”食わず嫌い”だったんだ。」
そう気付かされた私は、挑戦することをためらわなくなった。
また、人との関わりやコミュニケーションが増えたことで、友人や知り合いも増えていった。
いっときの勇気と行動で”リスク”を取ったことが、結果として大きな”リターン”となって返ってきたのである。
起業家の友人との出会い(高校生時代〜大学生時代)
中学生時代の”成功体験”を胸に、学業へ励んだ高校生時代。
この時の「友人A」との出会いが、のちの筆者に、極めて大きな影響を与えることとなる。
友人Aは、高校入学当時から良い意味で「変人」で、そしてなにより「努力家」だった。
学力では私も負けていなかったが、何かに熱中する力・一つのことに取り組む執念は、私よりもはるかに上だった。
そんな友人Aは、大学に入学後、起業を果たすことになる。
自分で事業を立ち上げるなんて考えたこともなかった筆者は、友人Aの思考と行動力に、ただただ驚くばかりであった。
それだけでなく、株式投資、不動産投資、暗号資産…といった、私とは全く縁のなかった世界に、知識をつけて次々と足を踏み入れていった。
「高校時代、学力だけでいえば近しかった私と、いつのまにこんなに差がついたのだろう。」
「なぜ、ここまでリスクが取れるのだろう。」
「失敗したらどうしようとか考えないのだろうか。」
筆者はAに劣等感を抱きつつも、あることに気がついた。
それは、ただ単にリスクをとっているのではなく、「知識」をつけ恐怖や不安を払拭した上で、「行動」に移しているということだ。
「わからない」からこそ、漠然と恐怖や不安といった感情が生まれる。
恐怖や不安と感じていたことは「リスクそのもの」ではなく、単に自分の「知識不足」からきていたことがほとんどだったのである。
Aが「天才」タイプではなく「努力家」であったからこそ、このことは明らかであった。
漠然とした”恐怖”を解きほぐす
人と違うことをしたり、新しいことをはじめる時は、必ずと言っていいほど「失敗の恐怖」がつきまとう。
「失敗したらどうしよう」「自分の行動が間違っていたらどうしよう」
しかし、そんな時は、その恐怖を深掘ってみよう。
その恐怖は、何からきている?
いざ蓋を開けてみると、ただ単に「知識不足」が占めていることが多いのだ。
「暴落するかもしれないから株式投資が怖い?」「起業なんて自分にできる?」
そんな漠然とした恐怖は、正しく知識をつけることで、確実に解きほぐすことができる。
リスクはリターンを狙うチャンス。「攻撃こそ最大の防御」と捉えて、まずは一歩を踏み出してみないか。